アンパンチは暴力表現なの?
今日ずっとツイッターのトレンドに上がっていた、アンパンマンのアンパンチの話。
最近、息子もそのうちアンパンマンを通っていくのかな〜、なんで赤ちゃんの大多数がアンパンマンに夢中になるのかなぁ〜なんて話していたばかりなのに。
アンパンマンは、話し合いで解決しないで、ばいきんまんをアンパンチで吹っ飛ばして終わりにしちゃうから暴力的だ、子どもがマネしたらいけないから…みたいな話なんだそうです。
アンパンマンを見て育ってきた大人がたくさんいるけど、暴力的になったか?そんなこと言い出したら何も見せられない、というような結果論的な話や、アンパンマンにしても何にしても、一緒に見ている親がしていいことと、してはいけないことをしっかり教えればいいのだ、という教育・しつけ的な話、作者のやなせ先生の思いなど、いろんな意見や考えが提示されていて、興味深くみていました。
でも、ふと思うのですが、あのアンパンマンという作品全体から溢れている優しいオーラというか雰囲気から生まれている、お仕置き的なアンパンチを見た子どもが、勝手に誰か他の子をばいきんまんに見立てて殴り、泣かしたり痛い思いをさせたりするのなら、その子には「アンパンマンを見ること」以外に何か他に見直すところがあるのではないのかな?って思うのだけれど… ストレスが溜まっているとか…寂しいとか…、家庭環境やプレッシャーで、優劣意識を感じたい性分になっちゃってるとか…
アンパンマンの真似やゴッコをする子はたくさんいると思うけど、
ばいきんまん役の子「ぎゃああやられたーばいばいきーん」
…みたいな、じゃれあいではなく、それが痛みを伴う「暴力」になるっていうんなら。。。それはアンパンマンの真似から生まれたものではなくて、何かもともとあった攻撃性を、アンパンマンのアンパンチの形を借りて出しているだけのように思えます。だから、アンパンマンを見ていなくても、何か別の形で出てくるのでは…?
言葉やセリフ、行動や表現の仕方からいろいろ読み取る大人よりも、よっぽど子どもは作品を雰囲気で感じ取っている気がします。
アンパンチはたしかにパンチという攻撃で、ばいきんまんはそれで吹っ飛んではいるものの、
アンパンマンに攻撃性や暴力性はあるのかな?
まだアンパンマンを見る歳の子どもはいませんが、仕事で子どもたちを見ていた経験上、なんとなく思ったことです。
アンパンマンを見せないこと、よりも何か大事なことがある気がする。暴力が起こって、アンパンマンを見ていたせいだ!と思うのは簡単なことだけど…
いつか自分の子がアンパンマンを見る時期になった時に考えなおしたいと思って書きました。